2014年6月15日

林の中を彷徨う

ながいながい時間をかけなければ分からないことがある。揺らぎの幅を知り、変化を楽しみながらも核になるものは変えない、変わらない。
点をつないで、線にかえていく、それを営む力こそが「愛」なのだと。

海岸に流れ着いた流木や河原の石ころ。そんなものにどうしても見惚れてしまって、一度手に取ると離しがたくなる。私もこの石ころのように静かで美しいものを作りたいと思う。だけれど、悲しいことに私の作り出すものはどこまでも人工的なものでしかない。流れる雲、葉、雷、ふりしきる雨、一匹の虫、立ち枯れた木、砂の一粒から満点の星空まで、なぜ自然の全てはこんなにも美しいのかと。そこには命があるからすべてが繋がっている。宇宙にある太陽その一つ一つ、そして生と死という時間すべてが連続してる。

「美しいものとは何だろう」
美しいものを作ろうと思えば思うほど、美しいということの意味が分からなくなり、呆然としてしまう。
何でもないけれど、いいものを作ろうと思っているのだけれど、それはとても難しい。
もちろん答えはすぐに返ってはこないし、そもそも答えなんてない。でもそこから何かが始まって美しいものを探し続けていく。


〈 いつもの道を歩いて 小さな花を見つけた 今朝 すべてがあまりに美しいので この花を君にあげよう 理由もなく何かを美しいと思うこと 僕はそのことにただ感謝しているんだ 〉

ドイツ語の古い詩です。


人は、自由に形を作り出すことが出来ると思っていた。周りを見渡せば人が作り出したもので溢れている。形にはそれが作られた何らかの理由や意味があり、名前がある。そんなたくさんの形あるものに囲まれて私は退屈している。

形があるものには、形になる前のスライム状態の時があって、人はそこから形を作り出す。その時に置き去りにされ忘れられてきたのは、フレームの中に収まっているはずの複雑で多様でつかみ所のない中身。目には見えないけれど、五感のすべてで感じるもの。その中身は目に見える形を超えていろいろなものと繋がりあっている。だから、混沌としているけれど、何か生き生きとしたものが潜んでいる。

最近は、抑えきれない感情を何かに乗せて昇華させることよりも、心を鎮めることによって見えてくる風景に興味を持っている。とはいえ、まだまだその風景は私にとっては時々見え隠れする瞬間の風景でしかないのだけれど。

生きているすべてのものは、流れ去り、失われ、消えていく。誰もその大きな力をくい止めることは出来ないし、それが手の中にあるのも、目に映るのもわずか一瞬のこと。だからこそ、息を止めて、立ちつくすように 見つめ続けたいと思う。

美しいものは、身体を通りぬけてさらに味わい深いものになるのだと。




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