2015年6月3日

古い形と新しい形が出会う場所

「他の人に対しては忍耐深く寛大であれ。あなたも他人が耐え忍ばねばならぬようなものを、事実において多く持っているからである。」―――イミタチオ・クリスティ―――

この一文をふと思い出した。
夏目漱石がロンドンに留学をした時にこの本と出会い、読み込んだことで有名だと知った本。

とかく人は誰も自分の姿には気付かないものだ。自分だけが絶対善であり正しいかのように思い勝ちである。理性では律し得ない心の動きというものは恐ろしい。人間というものは、言いようもなく弱いものだ。私自身も、幾度も幾度も人に許してもらいながら生きねばならない存在だ。

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唐津の呼継、御本で茶をいただく。以前は薄茶が好きだったけれど、最近は濃茶が好きになってきました。

皆さんは鍛金(たんきん)という仕事をご存知でしょうか。金、銀、銅、錫(すず)、鉄などの金属、砂張、真鍮などの合金、その塊を金槌で叩き、薄く伸ばして器などの形を作っていく。粘度をこねて形を作るのと似ているけれど、固い金属の場合は途方も無い時間と労力が必要で、形が出来ると表面と研ぎ磨いて仕上げる。
一片の金属を叩いて叩いて、伸ばして伸ばして、うまれてくるひとつのモノ。それは盃だったり、皿だったり。

長谷川竹次郎さんという鍛金師さんの作品が私は好きで、この方の展示を拝見するために名古屋へ行きました。長谷川家は、金属加工に関わる職方として室町時代から続いている、代々、尾張徳川家のお抱え鍛金師で、刀の鍔(つば)を主に作っていたのが、明治時代以降は茶道具をするようになりました。
そしてもう一つ、お茶の職方として代々受け継がれている、”長谷川一望斎”という長い歴史の名前があります。

訪れてからかなり日が経ってしまい、文章にするのに時間がかかりました。

竹次郎さんの身体の中には、数百年の金属との睦まじい記憶が血となって流れていて、自分はこういう生き方しかできないというのが形の中に入っているのを感じることができ、それを見ると私は妙に心が落ち着くのです。
純度の高い銀である茶道具一式、茶碗、茶入れ、薬缶などなど。茶道具以外にも、現代的な作品も作っています。私は嗜んでいるのは少しだけですが、茶事は楽しいのだけど奥が深過ぎてまだまだ解せないし、覗いてみるとそこには広大な宇宙があり、かといって外側から眺めると凝り固まった小さな狭い世界にも見えます。
私はその世界の中で大切にされている「詫び」をモノの形が壊れ、崩れ、消えていく、その先の世界を見据えている美意識だと解釈をしているのですが、そんな奇妙な美学が卓越的で洗練された文化の中心に据えられていることが惹かれる理由です。

とかく人は何かにつけ意味というものを付けねばならないと思い勝ちです。ですが、作りたいものも、形も竹次郎さんにはないらしく、それでも竹次郎さんは、毎日、毎日、せせらぎの水の流れが絶えることのないかのように金槌を打ち続けていています。
機能も理由も意味もないけれど、すべてが美しい。好みが一貫していて、自分の「好き」を見通すことの出来るひと。大きな名前に縛られない自由な心があるのでしょう、彼が見つめているのは、やはり形の失われていく先の世界なのではないかと想像しました。多分その世界はどこか深い深い地層のところで捻転して、形が生まれる前の世界と繋がっているのではないか、見渡す限りに形あるモノばかりに埋め尽くされたこの世は、何か仮初めで表層的な世界にすぎないのではないかと妄想が広がります。

例えば音楽。楽器も歌もある程度練習をすれば、とりあえず音は出るようになるけれど、それでは音楽にはなりません。音はとてもやわらかく敏感な素材で、直接手で触れることで、自分の心臓の鼓動、呼吸を直接伝えることができるので少し呼吸の仕方を変えるだけで形や音が変わってきます。
そのことを身体で理解すると同時に、美しい形と音を志向する目と意志と情熱を保ち続けることによって初めて音は音楽となります。
作曲家と演奏家の関係のように、デザイン的な仕事と職人的な仕事の間には美しい関係が成り立っています。デザインは、用途や機能を充実させるためであったり、商品としての差異性を際立たせるためであったり、その目的にあわせて形を作り上げていく仕事です。職人はデザインされたその形、伝統から受け継いだ形を変えることはしないけれど、その形の内部にある、最も美しい線を目と情熱を持って求め続けていく仕事だと思います。

ただ形をなぞるだけでは美しい形は生まれてこないし、同じ楽譜を読んでも感情的で激しいもの、派手なものなど、芸術的な演奏が色々あるけれど、私はひとつひとつの音の粒の美しさを際立たせるような、そして、何度それを繰り返しても同じ音が響くような職人的な演奏が好きです。デザイナーによって描かれた形が職人的に美しく奏でられたときに、長い歴史の中から優れた生活道具が生まれてくるのだと思いました。

金属という物質を超えた魅力。
日本の地方(田舎)には二通りあって、都会に憧れ、ここには何も無いと思っている田舎と、こここそがまさに世界の中心なのだと思っている田舎。後者の姿をあとにしながら、「暮らしが仕事、仕事が暮らし」という言葉を残した陶芸家の河井寛次郎さんの言葉を思い出し、暮らしのひとつひとつを慈しむこと、美しいと思うこと自体が美しいこと、最近の私は忘れていたなと反省をしながら帰京しました。

本来、何かモノを作り出すことは本質的にはとても不自由なことなのです。
古い形と新しい形が出会う場所がある。生まれる前の形、消えていく形。謎めいた空間から生み出される美しい形の話。
知らないとできない、驕らず、知ってこそ それを崩せる大きな力。そういうのって格好いいよね。

2014年11月10日

20141110

目の前に有るものが、ただ物質に過ぎないのに、生き生きとして何かを語りかけてくる。そのようなものと毎日暮らす幸せ。それはものに限った話ではなく、街並や景観も一緒だと思っていて、風景を自らのものとして積極的に取り込むことで、それらに対する興味と美意識を高めようとしているとも言えるのかもしれない。

先月、マドリードに行きました。
スペイン現代美術の巨匠と言われている大好きなスペイン出身の画家Antonio López Garcíaアンニオ・ロペス・ガルシア)が、愛するマドリードの景観を数多く描いているのですが、その中で街の中心部のグランヴィア通りを描いた『グランヴィア』


この場所に滞在中何度か行ってぼんやりと街並みを見ていたのですが、景観というのは何も歴史的建造物やすばらしい自然といった誰もがその価値を認めるような大げさなものではなく、自分が毎日暮らしている周囲にある街並、看板、塀や樹木、電線だったり路地裏や草花などそういったありふれたもののことだという現在78歳の彼のメッセージのようなものを勝手に受け取り解釈をしてきました。
自分の外側にただ客観的な存在としてあるものではなく、それは既に自分自身の一部なのだと。もちろんスペイン建築は私にとっては十分に歴史的建造物です。

この絵はロペスが早朝6時30分の「光」を捉えるためにグランヴィア通りに出向き、1974−81年の7年の時間をかけて描き完成をさせたものです。現在PIAGETはROLEXになっていますが33年前と変わらぬ街並でした。
昨年、文化村ミュージアムでの日本初大規模個展で大感激をたのですが、あの感動は今も鮮明に覚えています。

大切にしている物と同じように、ある人にとって心地よい景観は生命感を持っている。命があるというのは繋がっているということのように、それは過去との連続性であり、また記憶の連続性であり、特定の人と人または人と物との繋がりでもあり、それらが重複して絡み合った複雑さがそこにある。人は身近な道具、住宅、環境を自分の一部として織り込みながら自分の居場所を作り上げる。どんなに素晴らしいとされている器でも、それがどのような場所にどう置かれるか、どう使われるかによって美しくも醜くもなる。このような空間の美しい使い方は日本人の侘び寂びの美意識の中に昔から織り込まれていて、シンプルだけど冷たくない、端正で風通しの良いもの。

当然の事ながら景観を個人が所有する事は出来ない。名物的な景観を除いては、それを保存しようとする法律も規制も日本には皆無と言ってよい。

33年前の絵と変わらず存在する街並に触れた時に、再び開発ラッシュの幕開けをした現在の東京の姿を思う。東京オリンピックも控え、今後は青山通りも生まれ変わり、新国立競技場も出来て第二六本木ヒルズや渋谷桜ヶ丘の再開発、有明周辺のタワーマンションの建設ラッシュ、銀座や日本橋地区も大きく様変わりをする。東京は世界でも類を見ないほど次々に姿を変えていく都市。道なきところに道が出来て、街なきところに街が出来ていく。
そんな再開発、都市開発で変化する東京が好きだったりもするけれど、もしかしたら景観に対する関心がほとんどの日本人には無いのかも・・・と思う事も。もちろん、主義主張を声高々に叫んだり、自分の美意識を他人に押し付けようとするのではない。毎日通る道にあった感じのいい住宅がある日突然取り壊されてマンションに建て替えられた時は心に痛みのようなものを感じる。

失われていくものに対する単なるノスタルジーでもなく、ただ借景という素晴らしい技法や情風景というものを考えたとき、私が窓から見る景色は一体誰のもの、と思う。

マドリードは滞在中の友人達のお陰でとても楽しく過ごせました。感謝です。







2014年6月16日

ないものの(頭の中での)存在

科学者を、真理という大海の海岸で珍しい貝殻を集めて遊んでいる子どもに例えたのは、アイザック・ニュートンだった。
手元にもし一つの貝殻があれば、それを眺めて模様についてあれこれと考えているだけで、時間を過ごすことが出来る。
時間というものは、そもそも常に現在しかないのだという考え方もある。

小津安二郎の映画「宗方姉妹」で、姉役の田中絹代は長年夫と夫婦関係を続けながらも別の男性をずっと思い続けてきた。その生活にそれなりに満足をしていたけれど、耐えられなかったのは夫の方だった。紆余曲折があって、とうとう夫と別れてその男性と結ばれようかという時、突然夫が他界してしまう。

夫の死によってその男性と結ばれることを断念する。この映画の最後で田中絹代は妹役の高峰秀子に言う。
夫が死んでから、ずっと夫から見られているような視線を感じている。夫とはずっとうまくいっていなかったのだが、死んではじめて近くに感じられるようになった。夫が死んではじめて本当の夫婦になれたような気がする。これからはこの夫(の視線)とずっと一緒にやっていく、と。

あるものは頭の中では存在している。あるいは、あの人は私の心の中で生きている。このような言い方には人はどこか感傷的な湿った後ろ向きなノスタルジックな感情を読み取ってしまいがちだ。

時にそれを現実逃避だとさえ思う。でも、そのような湿った感情とは別に、頭の中には確実に「それ」がある、ということが言える場合もあるのではないだろうか。

人は必ずしも、目の前に実際にある、目に見えるもの、手で触れられるものだけをリアルに感じているというわけではない。頭の中に刻み付けられたもののリアルは、時には、見て触れることの出来る外の世界のリアルを上回るほどの強さをもってしまうことがある。

それを、単に気持ちの問題だとか幻想だとか言って済ますことは出来なくて、人間にとっては一種の「現実」であると言える。頭のなかに刻み付けられたものは、それが現実世界で失われてしまった時、それは一体どこに「存在」すると言えるのだろう。それは世界を二重化し、人はその重なりつつもズレている二つの世界を同時に生きるのではないだろうか。

自身がかかえているモノローグ、沈黙。意味されたことを目が疑う。引き返す。対象とは別なものを見いだしてそこから遠ざかる。見ることと、在ることの受容。二つの現実を自分の中でうまく包含すること。私の中での課題でもある。


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ジェコメッティは、画家のブラックが亡くなった時に、次のように書いている。


《 ジョルジョ・ブラックが亡くなった。この訃報は、さしあたって、私の精神になんの反響をも呼び起こさない。ジョルジョ・ブラックは、今この時、過去におけると同じように生きている。ここパリの、あるいは海のほとりの、彼の家、彼のアトリエのどこかで、たばこをふかしながら、一つのタブローからもう一つのタブローへと行ったり来たりしながら、ともすれば今まで以上に生きているのだ。私は1930年以来たびたびそうしたように、彼の家で、小さなテーブルの上の一杯のコーヒーを前にして、彼のしゃべるのを聞いている自分自身をまざまざと思い出す。 》__「エクリ」より__







2014年6月15日

林の中を彷徨う

ながいながい時間をかけなければ分からないことがある。揺らぎの幅を知り、変化を楽しみながらも核になるものは変えない、変わらない。
点をつないで、線にかえていく、それを営む力こそが「愛」なのだと。

海岸に流れ着いた流木や河原の石ころ。そんなものにどうしても見惚れてしまって、一度手に取ると離しがたくなる。私もこの石ころのように静かで美しいものを作りたいと思う。だけれど、悲しいことに私の作り出すものはどこまでも人工的なものでしかない。流れる雲、葉、雷、ふりしきる雨、一匹の虫、立ち枯れた木、砂の一粒から満点の星空まで、なぜ自然の全てはこんなにも美しいのかと。そこには命があるからすべてが繋がっている。宇宙にある太陽その一つ一つ、そして生と死という時間すべてが連続してる。

「美しいものとは何だろう」
美しいものを作ろうと思えば思うほど、美しいということの意味が分からなくなり、呆然としてしまう。
何でもないけれど、いいものを作ろうと思っているのだけれど、それはとても難しい。
もちろん答えはすぐに返ってはこないし、そもそも答えなんてない。でもそこから何かが始まって美しいものを探し続けていく。


〈 いつもの道を歩いて 小さな花を見つけた 今朝 すべてがあまりに美しいので この花を君にあげよう 理由もなく何かを美しいと思うこと 僕はそのことにただ感謝しているんだ 〉

ドイツ語の古い詩です。


人は、自由に形を作り出すことが出来ると思っていた。周りを見渡せば人が作り出したもので溢れている。形にはそれが作られた何らかの理由や意味があり、名前がある。そんなたくさんの形あるものに囲まれて私は退屈している。

形があるものには、形になる前のスライム状態の時があって、人はそこから形を作り出す。その時に置き去りにされ忘れられてきたのは、フレームの中に収まっているはずの複雑で多様でつかみ所のない中身。目には見えないけれど、五感のすべてで感じるもの。その中身は目に見える形を超えていろいろなものと繋がりあっている。だから、混沌としているけれど、何か生き生きとしたものが潜んでいる。

最近は、抑えきれない感情を何かに乗せて昇華させることよりも、心を鎮めることによって見えてくる風景に興味を持っている。とはいえ、まだまだその風景は私にとっては時々見え隠れする瞬間の風景でしかないのだけれど。

生きているすべてのものは、流れ去り、失われ、消えていく。誰もその大きな力をくい止めることは出来ないし、それが手の中にあるのも、目に映るのもわずか一瞬のこと。だからこそ、息を止めて、立ちつくすように 見つめ続けたいと思う。

美しいものは、身体を通りぬけてさらに味わい深いものになるのだと。




2013年12月27日

1980−2000

1980年から2000年はグラフィク・デザインがカルチャーとして成立をして輝いていた時代だと思います。
私はデザインでPCを使わないのですが、Show Studioの作品を見ながら、2000年の設立当時から変わらずにカッコいいな〜、そんな時代を改めて振り返る事によってデザインの魅力を再確認出来れば良いな〜、とふと思いました。

数も足りず不十分な面もありますが、私が昔からもっとも興味があるU.K.のデザインスタジオと大好きな雑誌のみをピックアップしてみました。

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80年代のグラフィック・デザインの象徴といえば勿論「The Face」と「i-D」の創刊です。ファッションと音楽を中心に取り扱った雑誌の登場はファッション・カルチャーという新しいカテゴリーを作り出しました。
「The Face」を手掛けたデザイナーのNeville  Brodyは広告デザインが主流だったグラフィック・デザインに、大胆で斬新なタイポグラフィを使いファッションと音楽とを混ぜて新しい表現の場を作り、一般の人達もそれを楽しむような時代になりました。
それはファッション・カルチャー誌という新しい発表の場を与えられた事によって、広告とは違う表現がレコードジャケットや雑誌で展開されたのです。

84年にアップルはMacintoshを発表しましたが、80年代はまだ多くの人がコンピュータを使ってデザインをすることに戸惑っていた時代でした。そんな中でもいち早く新しいデザインを発表したのも同じくNeville Brodyでした。

88年にロンドンのVictoria and Albert Museumで開催された『The Graphic Language Of Neville Brody』展は4万人以上の来場者数で同名の書籍で彼の初の作品集も同時に発行され、デザイン書にも関わらず世界で12万部以上が販売されました。

1990年に来展しパルコギャラリーで開催された同展は他にもPeter Saville、Malcom Garrett、Vaughan Oliverなどロンドンのデザイナー達の作品もありました。(私はまだ小学生だったのでこの展は高校生の時に知ったのですけど)
この展覧会は90年代以降のグラフィック・デザインを示唆していたと思います。その後、NevilleはErick SpiekermannとFront Fontを設立して積極的にデジタル・タイポグラフィに取り組んでいったひとりです。


90年代に入ると新たな実験と模索の時代になり、「Dazed & Confused」や「Purple」「Wired」「Self Servise」「Ray Gun」などが90年代前半に創刊されて、出版社ではなくデザインスタジオがファッション雑誌を編集・発行するようになり、大胆なデザインやグラフィック的な要素を重視したものが増えて来た印象です。
当時のデザイナー達が、FontgrapherやPhotoshopなどのアプリケーションを使って新しいデザイン表現を模索していたのがとてもよく分かります。

90年代後半になるとインターネットなどの新しいメディアの登場で、印刷物だけではない新しい知識と経験が必要になり、多くのデザインスタジオは00年前後になると次のステップを意識し始めていきました。

97年のBjork 4thアルバム『Homogenic』の衣装はAlexander McQueen、写真はNick Knight、デザインはMe companyと豪華なメンバー。

この頃に創刊されたのが「Numero」「V magazine」「POP」 などで、フォトグラファーのNick KnightとデザイナーのPeter Savillが2000年にスタートさせたShow Studioは未来のクリエイティブの可能性をいち早く察知した結果だともいえると思います。



99年発売のThe chemical brothers 3rdアルバム『Surrender』はKate Gibbのイラスト、デザインはBlue Source。Blue Sourceは解散して、かつてのメンバー達はYes、Toppin、Goftonなどで活躍中。


同じく99年にIntroが編集デザインしたスリーブジャケットばかりを集めた作品集『sampler』が刊行。2001年には『display copy only』が刊行。Introの共同設立者でありクリエイティブ・ディレクターのAdrian Shaughnessyは、Introを離れて現在はロンドンを拠点にデザインジャーナリストとして活躍中。

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80年代から90年代にかけてはファッション、音楽、カルチャーが大きな変革期を迎えた時代でもあります。そんな時にタイミング良くコンピューターを使い、模索と実験を繰り返しながら表現されたグラフィック・デザインは、ファッションや音楽と一緒にカルチャーとして時代を耕して来ました。

本来は裏方であるグラフィック・デザイナーが広告デザイナーとしてではなく、ミュージシャンやファッション・デザイナーと同じ様に時代を作り出す一人として注目され、表舞台へ紹介されるようになったのもこの時代です。当時有名になったデザイナーの殆どは20年30年経った今でも素晴らしい仕事をしていて、真剣にデザインに取り組んでいるのがよく分かります。彼らをとても尊敬しますし、追い抜こうとしてもなかなか簡単ではありません。

時代に関係無く、いつの時代でも美しいデザインがあるし、反対に今だからこそ面白いデザインもあれば10年後にやっと評価されるものもあります。
決してどれが正しいということではなく、デザインの価値観や環境は時代と共に変化していきます。それはデザインに限らず、写真、ファッション、映画、音楽、アートなど全てのものやひとに対する面白さだなと思いました。